先日、とある公園へ行っ時のことですが、何気に銅像がありまして、「こういう銅像って、いつから作られているのかな?」とちょっと疑問に思いましたので、ちょっと調べてみました。
日本で初めて建てられた銅像は、金沢市の兼六園にある。
日本初の西洋式銅像は、石川県金沢市の「兼六園」(けんろくえん)にあります「明治紀念之標」(めいじきねんのひょう)に設置された「日本武尊」(やまとたけるのみこと)の像です。 この銅像は1880年(明治13年)、「西南戦争」による戦死者の慰霊を目的に建立されたと伝えられています。
というわけけで、石川県金沢市にあります、兼六園へちょっとみてきました。
日本で初めて建てられた銅像ということですが、初めて建てられと聞いて、もっと小さいのかなと思ったら、結構な大きさでちょっとびっくり!
案内版の立札には・・・
明治記念之標
中央に日本武尊像を、左に石川県戦士尽忠碑を据える明治記念之標は、西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるもので、身長5.5メートルの銅像は、明治13年(1880年)日本で最初に建てられた銅像といわれている。
兼六園、銅像の前にある案内版の立札より
と書かれていました。身長5.5メートルですし、土台の石も結構な高さがあって、かなり大きくみえました。
両脇に植えられた赤松は「手向松(たむけまつ)」と呼ばれ、当時、京都の東西両本願寺の門跡から移されたものです。
石川県
銅像が建てられた原因となった、西南戦争とは?
日本最後の内戦でもある西南戦争は、1877年(明治10年)1月29日から9月24日に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱。 明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のものでして、当初西郷軍有利という予測でしたが、明治政府が約7万という軍勢を繰り出して勝利しました。この「明治紀念之標」は、西南戦争で戦没した石川県の兵士400名を慰霊するために建てられました。
でも日本で初めて銅像を作るって、最初に作る人は大変じゃない?
初めて銅像が作られた経緯
もちろん、作った事のないものを作ることは大変で、この日本武尊像は、実は隣の県、富山県の高岡の鋳物職人の手で作られました。
ちょっと逸話があるようでして、本来は、石川県の鋳物職人が作ることになっていたそうですが、当時、技術力に優れていた高岡の鋳物職人たちは、後から名乗りを上げ請負を横取りしていった形になってしまったようです。しかし、それでも製作は困難を極め、苦心、研究、苦労重ねやっとのことで完成したことが、語り継がれています。
しかし、一方、金沢では、当然これはおもしろくない出来事であり、「バランスが悪い」「顔がデカすぎる」などと、噂されたそうです。
(全国に設置されている銅像の90%以上が、富山県高岡市で製作されているそうです)
でも、銅像に強い思い入れがある
銅像は、雨や風にさらされ、排気ガスや鳥の糞、酸性雨の影響を受けて、完成時から比べると劣化が進んでしまいます。傷んだ箇所を放置すると、劣化(酸化)が進むにつれ修理・修繕は難しくなります。
平成二年初めて本格的な補修工事がおこなわれた際も、日本武尊像の強い保存の気持ちが金沢の人々にはあったということです。
いつまでも日本で初めて建てられた銅像を保存してほしいですよね!
ちょっと思いついた日本の銅像・・・
西郷隆盛(東京、上野公園)
坂本龍馬 (高知、桂浜)
二宮尊徳(金次郎)(神奈川 小田原)
伊達政宗(宮城県 仙台城)
石川啄木(北海道 札幌)
忠犬ハチ公(東京 ハチ公前広場)
思いついた銅像を挙げてみました。ちなみに同じ人物でも複数の銅像がゆかりの地にあります。